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大和吟醸焼きのこだわり

奈良の南東の山間に、紅葉の美しいことで知られる正歴寺があります。この寺院は992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。
しかし、1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没収され一時は廃墟と化します。その後、1218(建保6)年、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興して、昔に勝る隆盛を極めました。また、13世紀初め(建暦年間)の頃に、蓮光法師(法然上人の弟子)がこの地に草庵(本殿を安養院・別殿を迎接院)を結び、浄土門の法灯を掲げたこともありました。

奈良県 正歴寺

江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失われました。現在では、福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっており、現在真言宗の寺院です。宗派は山号をとって菩提山真言宗で菩提山真言宗の本山となっています。
本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上するお酒として、荘園からあがる米を用いて寺院で自家製造されていました。
このように荘園で造られた米から僧侶が醸造するお酒を「僧坊酒」と呼んでいます。正暦寺は創建当初は86坊、多い時には120坊を抱え、大量の「僧坊酒」を作る筆頭格の大寺院でありました。
当時の正暦寺では、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や麹と掛米の両方に白米を使用する「諸白造り」、酒母の原型である「菩提酛造り」、さらには腐敗を防ぐための火入れ作業行うなど、近代醸造法の基礎となる酒造技術が確立されていました。
これらの酒造技術は室町時代を代表する革新的酒造法として、室町時代の古文書『御酒之日記』や江戸時代初期の『童蒙酒造記』にも記されています。
このように正暦寺での酒造技術は非常に高く、天下第一と評される「南都諸白」に受け継がれました。そしてこの「諸白」こそが、現代において行われている清酒製法の祖とされています。このことから、現在の清酒造りの原点を正暦寺に求めることができます。
以上のような歴史的背景は、正暦寺が日本清酒発祥の地であると言われる所以であります。

日本清酒発祥之地の石碑

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